幻のアンコール聞こえた?

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はじまりはいつも相葉ちゃん その2  

どうもー。仕事から帰って真っ先にやったことは
ジュレームの壁紙を速攻でDLすることでした。
そうです、海老原 梓です。
ところで私のパソコンは左側にアイコンを配置しているので
壁紙に設定すると人魚のお姉さんにアイコンがかかる形になるんですが
潤くんを優先しました人魚のお姉さんごめん。

さて、相葉ちゃんの話です。
その2とありますが1の続きというわけでもないです。
以下、追記にて。




嵐ファンになったことで私が手に取ることが出来た本の1冊として
『ニッポンの嵐』というものがあります。
これは嵐の5人がそれぞれ興味を持った分野の人に
会いに行くという、非常にざっくりした説明ですけども
学校の図書館には寄贈されているそうですし、中古だったら
ぶっちゃけ数百円で売っていたりもしますから
読んだことのない方は読んでいただいた方が手っ取り早いと思います。
で、この本が嵐関係なく素晴らしい内容だったんですけども、
今回はその辺りの話を。


相葉ちゃんが選んだテーマが、福祉・介護だったんですが、
行った先でなぜこのテーマにしたのかと訊かれるんですね。
で、相葉ちゃんの答え。抜粋して書きます。

小学校の頃、障害を持った同級生の世話係になっていた相葉ちゃん
(身体障害と書かれていましたが多分知的障害ではないかと推測)。
とはいえ当時はその子の家で一緒にゲームをしたりと普通の友人関係だった、と。
なんですが、20歳を越えてから相葉ちゃんが実家に戻ったところ
たまたまその子と会って、相葉ちゃんは懐かしさから声をかけたそうなんですが、
その子は相葉ちゃんのことを全く覚えていなかった、と。
で、その時のことを相葉ちゃんは冗談めかして「切ないなーって」と言うんですが
その次に書かれていたのが、
『ああ、そっか、そういうものかって』
ここ読んだ時、私、うわあああああああああ……、となりました。

「障害のある子が遠い存在じゃなかった」と相葉ちゃんも言っている通り
当時の小学生の彼にとってはその子は他のクラスメートと同じような
普通の友達だったと思うのですね。
普通の、と書くとなんか誤解を招きそうですが、何て言うのかな、
良くも悪くも特別な存在ではない、といいますか。
区別の対象ではなかったのだと思います。
仮に知的障害だった場合、余計に身体的な違いというのは見て分からないわけで、
そうなれば相葉ちゃんとしても、”世話をしている” 感覚は薄かったのでは
ないのかなあと勝手ながら想像。
”友達だから” 一緒に帰って、”友達だから” 一緒に遊ぶ、といったような。

ただ、相葉ちゃんにとってはそうであっても周囲の大人にとっては
そうではないわけで、多分相葉ちゃんは色々注意というか
こういうことに気をつけてね的なことは言われてきたと思うのですね。
それは先生であったり双方の親であったり。
ただ、多分小学生の時は今ひとつピンと来なかったところも多かったと推測。
そして、相手の子が障害を持っているということで、もしかしたら
相葉少年には理解の出来ない言動をしたことがあるかもしれなくて、
でもそれに対して疑問や時には不快に思うことがあったとしても
それはそれとしてお世話(相葉ちゃん的には友人関係)を続けてきたわけです。

なんですが、大人になってみたら相手は全く相葉ちゃんを覚えていなかった。
想い出の熱量が全く違うということを相葉ちゃんはその時思い知らされる
わけなんですけども、でもそれは相葉ちゃんのせいでも相手のせいでもなくて
ただただもう、仕方のないこと、なんですよね。
そして多分この時相葉ちゃんは小学生時代のことを思い出したと思うのですよ。
それはその子と遊んだ記憶だけではなく、周りの大人に言われたことであるとか
その時は理解出来なかったあれこれ。
で、多分、大人になって全く覚えていない相手を見て、
小学生時代は理解出来なかったことが、ピースが一気に繋がるように
色々なことが一気に理解出来た、のではないかと。
ただ、理解するというのは決して幸せなことばかりではないんですよね。
知らない方が幸せだったことも世の中にはたくさんありますし、
知ってしまったがゆえに以前と同じようには見られないものも出てきます。
相葉ちゃんにしてもその子の障害の本質を見てしまったことで
別にそれでその子を嫌いになるとかそういうことではないにせよ
もう二度と、小学生時代のようにはその子を見ることは出来ないのだという
ある種の絶望みたいなものを感じたんですね。勝手に。

で、相葉ちゃんのなにがすごいって、
多分丁寧にその時の心情を言っていったら何ページにもなることだったと
思うのですよ。
なのにそれを
『ああ、そっか、そういうものかって』
という一言で表現しているんですね。
このことになんかもう、うわあああああああああああ……、となったんですよ。
そういうものか、の中に込められた相葉ちゃんの色々な感情がなんかもう、
一気に自分の中に飛び込んできて、ここ読んだ瞬間鳥肌立ちました。
そういうものか、の中に相葉ちゃんの小学生時代と20歳の頃が内包されていて
短い言葉だからこそダイレクトに伝わってくるといいますか。

ああもう!なんかもう!
私の文章が下手なのは今に始まったことではなくて諦めている部分もあるんですが
あの部分を読んだ時の衝撃とかもう色々を自分の文章では全く表現出来なくて
今ほんと悔しいです。
違うんだよこうもっとこう……いいよもう本読んで!(結局そこ)

で、私、この本のこの部分を読んだ時に
『嵐のファンになって良かった』
と心底思ったんですね。
多分というかきっとというか、ファンにならなかったら読まなかったと思うのです。
そもそもこの本の存在自体を知らなかったですし、例え本屋で見かけたとしても
ふーん程度で手に取りもしなかっただろうなと。ファンでなかったら。
なのでこの本を読んだ時は、例え明日急に嵐に醒めることがあっても後悔は無い、
と思いました。
とはいえそんな簡単には醒めることはなく相変わらず毎日あれやこれや観て
あれやこれや考える日々ですけども。


相葉ちゃんというのは私の中では、
計算せずに本質を突いてくる人
という印象です。
上に書いたことも相葉ちゃん的には、そう思ったからそう言った、だけだと思いますし。

2011年のワクワク学校がDVDになっているので観たのですが、
相葉ちゃんは ”パクパクの授業” というのを担当していました。
まず最初にポークチャップを作って皆にふるまった後、
養豚場へ行った時のVTRを流して、実際に相葉ちゃんが選んだ豚たちが
出荷されていくところまでを見た後、
「さっき食べたのはこの時出荷された豚です」と。
で、相葉ちゃんは言うんですよね。
「分かって食べるのと分からないで食べるのとでは大きく違う」と。
これを初めて観た時は、なかなかのデリケートな問題を選んだなあ、と。
子供とか下手したらトラウマになりかねないですし
(実際、私の母親は幼少時に飼っていた鶏がある日食卓に出て以来
鶏肉が食べられなくなったそうです)。
ただ、この話にしても語ろうと思えばいくらでも話は出来るんですよね。
食事というのは他の動植物の命を頂くということだから「いただきます」
と言うのだとか、可哀想という感情で殺すことを止めれば
食物連鎖の破壊が起こりかねないとか植物にも命があるわけであってとか
それだけで一回の授業分くらいは話の出来る内容なんですけども、
でも相葉ちゃんは多くを語らないんですよね。
そして、多くを語らないからこそ伝わってくるものがある、っていう。


以前にも書いた通り私は潤くん推しなのですが
でも語りたい人は誰かと訊かれたら相葉ちゃんなんですね。
それはなんでかといったら、やっぱり彼の言葉が短いながらも
ダイレクトに色々なことを鋭く伝えて来ていて
それを言いたくてたまらない気分にさせられるんだよなあ、と
今回書いて思った次第です。
そして自分でもびっくりなんですが(笑)、その3に続きます。
今回はここまで。


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