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ジャンポケ太田君に(勝手に)捧ぐ  

確か、夏くらいのトークライブでだったと思うんですけども、
ジャングルポケットの太田君が疑問に思っているということを言っていたんですね。
「なんで女性は、ビキニの水着は恥ずかしくなくて下着は恥ずかしいのか」と。
隠している面積はほぼ変わりないのに何でか分からない、と。

で、そのことについてぼんやり考えていて、結構前に自分的結論は出たんですが
ここに書くのを忘れていて今に至るというわけです。
もういいかなと思いつつ、自分的になんか座りが悪いので年内に書いておこうと
いうことになりました。
太田君がこんなところを見ているとも思えないので、完全に自分の為ですが
きっかけがそうなので勝手に捧げておきます。
そして私は別に心理学とか精通しているわけでは全くないので
間違ってても知らんよ、単に私はこう思ったってだけだよ、ということも
明記しておきます。

本編は追記にて。


なんで水着は恥ずかしくなくて下着は恥ずかしいのか、に対する結論としては
平たく言ってしまうと、アウターかインナーの違い、ということになるんじゃないかと
思います。
外に出すものか中に隠すものか、の違い。

高校の時に講演でどこかの大学教授(だったかな)がいらっしゃいまして
その先生が話していたこと。
アメリカ人などの、家の中でも靴を履いて生活する人達は、人前で裸足になるのを
ものすごく嫌がる(恥ずかしがる)、と。
つまり人というのは、隠している事を表に出すという行為そのものを恥ずかしいと
感じるのだと言っていました。
言われてみるとすごい納得出来るといいますか。
確かに、隠されているものを暴く行為というのは興奮材料になりますし
同時にされる側に関しては恥ずかしいという気持ちになるのだろうなあ、と。
例えば布などで顔を隠している地域の人達にとってみれば顔を見られるというのは
ものすごく恥ずかしく感じるでしょうし。

何を恥と思うかというのは、各自の思想、風習、歴史などに左右されるところだと
思うのですね。
それこそ日本でも、女性が着物を着て生活しているような時代だったならば
人前で足を見せるなどということは恥ずかしいことだったと思いますけれど、
今は普通にショートパンツ&生足で街を歩く女性も多いですし
それに対して恥ずかしいという気持ちは(少なくとも本人には)ないでしょうし。
つまり、どこを見られれば恥ずかしいとか何をするのが恥ずかしいというのは
各自でそれぞれ違いがあって誰しもに当てはまるものはないわけです。
それこそ皆裸で暮らすのが当たり前の地域があったとしたら、裸は特に
恥ずかしいものではなくなりますし。

で、当初の疑問。
何で水着は恥ずかしくなくて下着は恥ずかしいのか、といえば
そもそも別に、肌を見せることそれ自体が恥ずかしい行為というわけでは
ないんだよなあ、と。
いやもちろん、先にも書いた通り何を恥と思うかは人それぞれなので
恥ずかしい人もいますけども、少なくとも海やプールでビキニを着る人にとっては
肌を見せることイコール恥ずかしいこと、ではないと思うんですね。
ただ、水着は外側に着るものですが、下着は ”隠すもの”だから恥ずかしく感じる、と。
これがもし、皆が下着姿で生活するような地域や風習があったとしたら
下着姿は別に恥ずかしいことではないわけです。
隠すものという認識が小さい頃から出来ているから恥ずかしいという気持ちが
芽生えるのだと思うのですね。
ショーツがダメで見せパンはOKなのは、見せパンは見せてもいいものという
認識があるからでしょうし(そもそも見せパンの中にショーツをはいている以上
見せパンって別に下着ではないよね、とも思いますけども)。

突き詰めて考えていくと、恥という概念を説明するのって難しいよなあ、と
今回改めて思いました。
人類共通のものはなくて、ある種文化のひとつといいますか。
なんだか分かり辛い文章になってしまって申し訳ないです。
これはいつものことですけども(ほんとすみません)。
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